誰だ、結婚を「ゴールイン」と呼び始めたのは
結婚とはゴールでは断じてない
これまで何度も両親の夫婦喧嘩を聞きながら育ったからか、芸能人の離婚報道を聞いたからか、映画「アメリカン・ビューティー」を観たからか、Twitterで似たような「結婚したくない理由」を目にしたことがあるからか…。原因は一つではないだろうが、いつしか私は結婚を「幸せのゴール」だなんて全く思わないようになった。そしてそう考えた方が後々自分の身を守るとさえ信じるようになった。何故なら、言うまでもなく、育った環境も価値観も異なる他人と、基本的に毎日毎日折り合いを付けながら暮らすことになるからだ。それはむしろ、作業(あるいは闘い)の「スタート」と呼べるのではないか。
ひとは同じではない、という常識が「家族」では消える
どんなに結婚までの過程で価値観や趣味や思想が「合っている」と感じたからとは言え、見えているのはほんの一部でしかない。相手のすべてを「知り」、「理解する」あるいは「受け入れる」ことは不可能だ。(通じ合えるという期待が悉く撃ち砕かれた場面を何度となく見てきた。)また、逆に今は「違っていて新鮮、魅力的」などと思っている部分も、その思い込みの魔法がいつ解けるかわからない。
例えば極端な例ではあるが、国際交流の場面では、相手の母国語・外見・行動様式などの違いからして、「彼らは自分と異なるのだから、違いを理解しよう」という考えは比較的馴染みやすいだろう。(いまだにその点でさえも多々問題が残ってるのは承知であるが…)翻って、家庭ではどうだろうか。「家族だから」「夫婦だから」という理由で、何もかも同じ考えで当たり前と思いがちであるように思う。そしてそれこそが悲劇の始まりである。
(続く)
【余談】私のルーツ
実家のクローゼットから、私の小学1年の時の日記(毎日の宿題でした)が出てきた。
性格って幼少期からそんな劇的に変わらないものだとしたら、きっと、私の根幹は、ここにあるのかもしれない。
【本】暗幕のゲルニカ(ショート備忘録)
私はきっと、「知識」「さまざまな感情」「驚きの展開」の三拍子揃った小説が好きなのだ。
「知識」・・・知らない世界を教えてくれる
「さまざまな感情」・・・色んな考えや価値観の人がいる
「驚きの展開」・・・ストーリー構成の技術そのものに、感動する
私の原田マハさん作品の入り口は『楽園のカンヴァス』、
上記の三拍子でいうと、近藤史恵さんの『サクリファイス』も好き。
さて。
著者のアカデミックな背景からして言うまでもないが、
美術史、現代史への深い造詣や洞察を随所に感じられる。
なおかつそれは、教科書のような事実の羅列ではない。
推理小説のようなスリルや臨場感も相まって、
生き生きと伝わってくる。
結末は正直衝撃の強さはなかったが、
設定が世界大戦時と現代とを行きしながら、一つのテーマ、
アートで戦争に立ち向かうこと(いわゆる「ペンは剣より強し」)への
強い希望でまとめ上げられている点は見事である。
ただ思うに、「ペンは剣より強し」というのは、
現実は「剣はペンより強い」からこそ生まれ使われている
逆説的な言葉なんだろうなと。
以上
【本】ニューヨークの24時間(引用多めの備忘録)
「#キャリア」でヒットしたブログを読み漁っていたときに出会ったこの本。
この本の焦点は以下。
- 人生は有限であるから、時間の使い方とはすなわち生き方である。
- 「忙しい人」のための(むだを削ぎ、意義のあることに時間を注ぐための)仕事術・生活術。
- 特に仕事においては、時を忘れるほど熱中しているときがもっとも効率が良く、そのような働き方(人生の目的や自分能力に合っていること)を選ぶこと。
以下、刺さったことば。(引用ばかり・・・)
人間は「忙しい人」と「ひまな人」とに分けられる
この中には「忙しがっている人」も随分います。仕事の整理やつき合いの整理が下手なために忙しがってばかりいるけれど、よくみると、むだが多いというタイプです。
何年もまえから、「転職を考えている」といいながら、ずっと同じ職場にい続けている人っているでしょ。(中略)この世に生まれた以上は少しでも社会に貢献したい、とすぐ行動を始めたりはしない人。彼等は「ひまな人」たちです。新しい一歩を踏み出すエネルギーを持たない人たちです。
夢中になれる仕事
誰も、自分の人生の長さは知りません。(中略)
でも、誰でも、その長さに限りがあることは知っています。人生が永遠ではないこと、いつかは必ず終わるものであることを知っています。
私たちが時間を気にし、時間をむだにしたくないと感じるのは、そのためでしょう。ですから、時間の使い方は、生き方の問題なのです。
いずれにしても、自分に納得のゆかない仕事に就いていたり、本来の自分の能力とは関係のない仕事を選んでいる人に、上手な時間の使い方を教えることは誰にもできないと思うのです。
自分をよく知る
誰にとっても有限である時間をよりよく使うには、というテーマを考えるとき、自分自身をよく知っていることは、大前提です。(中略)
もし、あと三カ月しか生きられないと分かったとき、何をしたいか。一年なら?二年なら?……
多分、終身雇傭という制度の最大の弊害がここに現れているのではないかと思いますが、まあなんと多くの日本人は、なりゆき任せに生きていることでしょう。(中略)
このように、誰かがあなたの住む場所や仕事の種類や働く環境を決めてしまうという生き方を何十年も続けていれば、自分は本当のところ何をやりたいのかが分からなくなってしまうのかも知れませんね。これは、個人にとって大変な悲劇であり、社会にとっては膨大な損失ではないでしょうか。
常に自分が時を忘れるほど、自分が好きな、自分に向いている仕事につくべき。
そのためには、まず、自分が何が好き(嫌い)で、何が得意(不得意)で、何を果たしたいのか、きちんと分かっていなければならない。
何十年も前の著書であるが、そんなメッセージは、経済的・物的な豊かさだけがゴールとは限らなくなった昨今、twitterやブログはじめあらゆる方面から聞こえてくる。
(また、当時の最新ツールだったワープロやオンラインデータベースの活用も紹介しており、その点も含めて、著者は非常に先見の明がある方だなと思う。)
上記の人生観・キャリア観は十分に腹落ちするのだけれど、私は「何かやってみないと分からない」「よく考え取捨選択しなければ」を行ったり来たりしているのが現状。
でも、日々漫然とボールを受け続けるよりは、その思考を片隅に置いているだけでも、少しづつ行動が変わるものと願いつつ。
以上
【雑感】ミクロとマクロを行き来する
確かリディラバの代表、安部さんが仰っていたと思う。
自分の今の仕事に置き換えると、
ミクロ(を見ること)=製造原価の緻密な計算に基づくコスト査定
マクロ(を見ること)=製品の販売規模動向、業界のトレンドの把握
だろう。
この両方を行き来することは、調達業務においても重要。
「単価(ミクロ)×数量(マクロ)=損益改善におけるインパクト」なので、
どちらかだけに注目しても最大の効果は生まれないからである。
TS・レート・ロットをいじくりまわしていかにやっと0.1円低減できても、
それが1年に500個しか流通しないようなものであれば、交渉する意味はない。
でも、月に500万個使われるような部品であれば、そのインパクトは大きい。
きっと、相手からすれば、どんな商品であれ0.1円でも売値を下げることは、
(経済的にはもちろん)精神的にも負担がかかると想像する。
だから、「いかに交渉するか」も大事であるが、いかに交渉「しないか」も大事。
そのためにミクロとマクロを行き来することは、重要な意識だと思う。
【メタファシ】問題の切り分け
改善したいこと、今上手くいっていないと思っていること。
それは本当に問題なのか。
大して実害はないこともあるし、
違うとことろに直すべき原因があるかもしれない。
私が今「私の問題だ」と思っていることの
半分は社会や組織の構造の問題だったのかもしれない。
自分が背負い込むものではないからといって、
決して無視する訳ではないが、
少なくとも違ったアプローチを考えよう、と思うようになるのである。
【本】「入社1年目の教科書」
入社した年に読んだが、
3年目の今、もう一度読んでみた。
心がけ続けたこと
- 遅刻しない
- 「何のために」を聞く
- あいさつ(元気よくはないが)
- 英語を読めるようになる
- 相手との距離感
- 目上の人を尊敬する
- 同期とつるまない
- 資格をペースメーカとする
必ずしも実践できていないこと
- 会議で必ず発言する
- あえて言わせてもらう
- アウトプットがゴール
- 予習・本番・復習
- 仕事は盗んで真似る
- 脳に負荷をかける
- アポ取り
微妙、場合による
- 本は速読するな
やらないこと
- 新聞を読む
- 宴会芸
以上。